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【愛すべき保守派のあなたへ】 日本国憲法(占領憲法)有効論者に山本太郎の行為を批判する資格はない。

  山本太郎議員(画像は拾い物)

以前のエントリ 【参院選 2013】 選挙結果のメモ において、「日本の原発(核発電)を敵視する脱原発テロのB層向け広報担当兼ペット・山本太郎」と書いたが、これは正確ではなかった。此度の一件により、テロリストのペットであると同時にテロリストそのものでもあることが判明したからである。


しかし、問題は山本太郎ソノモノではない。問題は2つある。1つは、ソンナモノを参議院議員にしてしまった東京都民の民度、ひいては日本国民の民度にある。もう1つは、
御皇室を衛護し、警護すべき警察が、その用を「いざ!」「咄嗟に!」という時に果たせないであろうということである(これに関してのもう少し詳しいことがらは、小生の脳にはあるが、書かない)。本来、
御皇室の衛護・警護は、警察ではなく、軍がその任にあたらなければならない。すなわち、親衛隊の設置が必要である。

そしてこの2つの問題は、凡そ同根である。すなわち、「日本国憲法」なる占領憲法が日本国の憲法として有効であるとの教義ないし理知が、ことの発端なのである。「日本国憲法」が日本国の憲法として有効であるとの言説が通用し続けている限り、1つには日本国民の民度はたかがこの程度に留まり続け(=痴呆)、2つには日本には立派な軍があってはならない状態(=丸腰)が続く。痴呆にして丸腰の人間は、生かしておく利用価値がある間は利用され続け、生かしておく利用価値がなくなれば殺され、食料か肥料か建材の足しにされるか、はく製や標本にされるのである。「日本国憲法」とは、日本人を痴呆と丸腰の状態に留め置くための牢屋か首輪か鎖である。


そのような牢屋をリフォームしたところで牢屋は牢屋なのであり、補修したところで首輪は首輪なのであり、ヤスリをかけて錆を落としたところで鎖は依然として鎖なのである。また、それらを新築したり、新品に取り替えたところで、牢屋は牢屋であり、首輪は首輪であり、鎖は依然として鎖なのである。そのようなことをすれば、ますます「痴呆にして丸腰」が強化され、「日本人よ、痴呆にして丸腰であれ」と命ずる理知の教典による本能の押し潰しに、自律と自助への蔑みに、さらに拍車がかかると危惧する人は、いったいどれだけ居るのだろうか。

日本人が痴呆と丸腰から脱却するためには、大日本帝國憲法現存の認識が避けては通れぬ必須の道である。すなわち、日本人が日本人たるためには、大日本帝國憲法現存の認識を必ず有しなければならない。


日本国憲法(占領憲法)有効論者に此度の山本太郎の行為を批判する資格はない。山本太郎に対する怒りの数千倍、数万倍、数十万倍の怒りが、エセ保守・自称保守・占領憲法カイセイ保守業者の先生方に対して込み上げてこなければ、あなたは保守ではないのである。

なお、此度の山本太郎の行為は、現在俗に言うところの「憲法違反」ではなく、『占領憲法違反』であり、『講和条約違反』である。ただし、正統憲法である大日本帝國憲法に違反という意味においては、此度の山本太郎の行為は正しく『憲法違反』である。





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