oyoyo Memo Blog

時事と雑記。気が向いたときに更新するブログ。

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「胴元の方針」

なんか書かないとなぁ... と思っています。


まぁ、世の中には、別にこちらが戦(いくさ)を仕掛けているわけではないにもかかわらず、いや、こちらとしてはそんな意図はさらさら持っていないにもかかわらず、「戦を仕掛けられている」と自分勝手に認知(あるいは誤認)して、小生の目の前で、一人で勝手に「応戦」を演じる人がいます。

気の毒というか、困った人です。

小生としては、別にその人だけを何らか特別扱いしているわけではなく、いや、その人だけを特別扱いしていないからこそ、その人に対しては、そういう言動になるのです。

ところが、小生からそういう言動を受けたその人は、「戦を仕掛けられている」「攻撃されている」と仮定してしまって、「応戦」しているうちに、その「仮定」が「確定」へとエスカレート、あるいはバージョンアップしてしまっているのでしょう。

火を小さいうちに消そうとするその人の意欲は察しますが(実際にはそんな「火」は無く、その人自身がその人の脳内で「火」の存在を発生させているのでしょう)、火を消すことに必死になるあまり、周囲や家財を水浸しにしてしまい、却って事を大きくしてしまうのです。

そういう人は、こちらが要求していないことまで差し出してくるのです。そしてそれを受け取ることをこちらに押し付けてくる。これがその人なりの「応戦」の一端です。

放置しておくほうがいいのか、何らかの助言を出してあげればいいのか。どっちにしても、小生にとってはメリットがほとんど無いようです。


我々が仕事をする際、そこには必ず「胴元」に相当する組織なり、場所なりがあります。そしてそこで何らかの活動をする以上、その「胴元」が定めたルールに従わなければなりません。

もちろん、「胴元」といえども全知万能者でもなければ超予言者でもありませんから、個別具体的な、末端の仔細なこと全てをルールとして明文化しているわけではありません。しかし、ルールが定められているということは、すなわち「胴元の方針」がそこにある!ということです。

「流れ」としての「方針」があって、その一部が「かたち」となって表現され、すなわち「かたち」としての「明文化されたルール」があるのです。

「胴元の方針」についていけないのであれば、その組織、その場所から、あなたはいったん退場すべきと考えます。


これが国家社会であればどうか。

日本人にとって最大の胴元は、日本という國體です。政府や政体ではありません。ましてや政党や政治団体でもありません。最大胴元の方針についていけないのであれば、その組織、その場所から、あなたはいったん退場すべきと考えます。

たとえあなたが総理大臣であっても、企業の社長であっても、天皇であっても、皇后であってもです。天皇、皇后といえども、最大胴元たる國體の下にあります。ましてや大臣や社長等が國體の下にあるのは当たり前です。





5月9日、10日、11日は、トランプ大統領が選出されてより数えて6か月の節目です。
美味しいとこ取りはできないという極めて近接した将来を、支那・チョン・アベ・麻生・下駄屋ヘイゾーは、幾ら仕方のない知脳の発育不良があるとはいえ、知るべきです。




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日本国の憲法記念日は11月29日です。

    大日本帝國憲法 大日本帝国憲法
   画像は 国立公文書館HP より拝借

帝國議会ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ
将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ


大日本帝國憲法発布勅語より



『帝國議会ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ』の、『議会開会ノ時』とは明治23年の11月29日であります。即ちこの日こそ、大日本帝國憲法の施行の日であり、日本国の憲法記念日であります。

将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ

然るに「日本国憲法」という名の「自称・現行憲法」は連合軍によって起草されました。これが憲法改正発議権の侵害であることは実に明白であります。「日本国憲法」はその出自からして「憲法モドキ」であります。

また、条章の改定という漸進的修正ならば許容され得るものの、国憲の実質を全面的に改定するがごとき紛更は、革命であれ何であれ、何物をもってしてもできないのです。これは議論やイデオロギーや好き嫌いの問題ではなく、「できない」のです。新たな条章の追加さえ、条章の改定に含まれるのか否か、その判断は極めて慎重でなければなりません。

ましてや、連合軍という列強なる軍事力と巨大な組織力を背景にした外国勢力の一派たるGHQに指揮・管理・統制され、ときに「ああしなさい」「こうしなさい」「ここはこうするように!」と注文・指示され、「GHQの意向に従わないと追放されるのではないか?」「GHQの指示に従わないと連行されたり、牢屋に入れられるのではないか?」などという思考を巡らせながら構築・制定された「自称・現行憲法」に、大日本帝國憲法を失効させる力など、そもそも無いのです。

もっとも、GHQばかりが悪者ではありません。敗戦によってもたらされた「日本の弱まった状態」を帝國憲法の紛更の機会(ショック・ドクトリンを飲み込ませるチャンス!)と捉えた非國體思想の官僚たち、赤い官僚たちが、戦場に行くこともなく、戦死も戦傷もせず、背広を着て、ネクタイを締め、頭髪を整えて、生きていたのです。

そのような情勢のなか、日本國體の護持のために立ち上がられたのが、
昭和天皇、吉田茂、そして実はマッカーサーだったと小生は観ています。これについては稿を改めて、少しずつ書いていきたいと思っています。






【メモ】 日本は日本である。亜細亜に非ず! 日本は東アジア(東亜)の一員ではない!

  世界地図概略
    (画像は chakuwiki より拝借)


右翼の討論会であれ、サヨクの討論会であれ、保守派の討論会であれ、日本を暗黙のうちに東アジア(東亜)に含めてあれこれの議論・討論を進められることには大いに異議がある。

他の人々はどう認識しているのかは知らないが、小生は、日本は日本であって、亜細亜に非ず、すなわち日本は東亜に属さないと、幼少期からの本能でそう思っている。これは小生からすれば、日本が欧州や北米に属さないのと同じことである。日本は日本であって、アジアでもなけれは東アジアの一員でもない。確かに地図上の距離からすれば、誰がどう見ても、日本と東亜は海洋を介してではあるが、欧州やアフリカ、北米や南極大陸よりは至近である。しかし、日本は日本である。


一頃、「東アジア共同体」なる構想ないしモノがマスメディアによって盛んに流布されたことがあったが、その「東アジア共同体」なる発想とコトバに小生は実に違和感と嫌悪感、キモチワルさを覚えた。敵意すら覚えた。本能的に国益を害する危険性と異臭を感じた。それは「TPP」なるモノに対して、本能的に国益を害する危険性と異臭を感じ、違和感やキモチワルさを感じたのと類似している。

仮に「東アジア共同体」なるモノ、またそれに類するモノが推進され完成しても、日本は最初から最後まで傍観者のひとりの立場で良い。日本は東アジアとは地理において近いが、東アジアの一員ではないからである。

日本は日本であって、亜細亜に非ず。東亜に非ず。東南アジアに非ず。「東アジア共同体」に限らず、いかなる「共同体」にも属さず、経済のことであれ、金融のことであれ、軍事のことであれ、およそ外交は二国間でその交渉を進めるべし、図るべし。


しかしながら、上図をみて、あらためて違和感を所感せざるを得ないのはロシア・独立国家共同体(CIS; Commonwealth of Independent States)とその領域である。「独立国家共同体」とはいえ、ロシア以外のその構成員は皆、軍事においても外交においても事実上、ロシアに従属しているのであるから CIS ではなく CDS(Commonwealth of Dependent States; 依存共同体、非独立共同体)とでも呼ぶほうが、まだ正しいのではないかと小生は思うのであるが、仮にこの「ロシア・独立国家共同体」を一塊としてみると、東欧・北亜・中央アジア・東亜にまたがる不定形の巨大なアメーバのようでしかなく、実に不気味な存在である。ただ「不定形の巨大なアメーバのよう」であるだけならば、その不気味さは若干緩和されるのかもしれないが、そいつが世界屈指の軍事力・破壊力・殺傷力を持っているのであるから、連中に対しては最高レベルの警戒が常時欠かせない。ロシアの持つ軍事力・破壊力・殺傷力にくらべれば、北朝鮮のそれなど幼児か小児のものである。

この「不定形の巨大なアメーバ」が、このまま東欧・北亜・中央アジア・東亜の域に留まっていると考察するのは、史実から推しておそらく大間違いであろう。時機を窺い、少なくともバルカン・西亜・南亜へといずれ侵入することは「想定内」としなければならない。現に日本に侵入しているではないか。樺太と千島である。そしてそこに侵入したままである。後退するどころか居座り続け、さらなる侵入・進攻の時機を窺っているのが、この「不定形の巨大なアメーバ」=ロシア=「偽装倒産後のソ連」である。


日本は日本。亜細亜に非ず。東アジアの一員でもなければ北亜の一員でもない。日本は日本である。この本能の認識を明澄にしなければ、世界的時勢やコクサイ的時流や反日マスメディアの主張に乗せられ、流され、ふと気付くといつの間にか「不定形の巨大なアメーバ」に呑み込まれていた、「不定形の巨大なアメーバ」の一部分になってしまっていた、ということにおそらくなるであろう。

「不定形の巨大なアメーバ」は、いわばロシア式グローバリズムの原体とみるべきかもしれない。グローバリズムはいわゆる新自由主義やウォール街系金融資本主義だけではない。その時その時の力関係で、日本や他国に売り込まれる(半ば強制的に押し売りされる)グローバリズムの発生源や形態がさまざまあると考えるほうが現実的ではないかと思う。


  ロシアの領域(自称)
  (画像は Wikimedia Commons より拝借)

時間は百年か、それ以上かかるかもしれないが、目標はこの「不定形の巨大なアメーバ」を「定形の矮小な自立した複数の体」にすることである。すなわち、ロシア・独立国家共同体の分割である。それが、この「不定形の巨大なアメーバ」に呑み込まれたり、その一部分にならないための終局的な対処・解決策であろうと考える。




「日本国憲法」という全身麻酔から覚醒せよ!

  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

反日勢力からすれば、日本と日本人はおとなしく全身麻酔にかかっていればいいのです。従順にして全身麻酔にかかっていればいいのです。日本と日本人は自分の足で立つ必要はなく、自分の足で歩く必要もないのです。體の一部である尖閣諸島に刃物を突き刺されても、體の一部である竹島を火で炙られても、體の一部である千島・樺太に機銃掃射を受けても、北朝鮮に人身を拉致されても、文句を言わず、抵抗せず、そしてそういうことをされたことにすら気付かない日本人のほうが、反日勢力にとっては都合がよろしいでしょう。

で、ここからが重要です。

あなたが仮に医師の立場でも、看護師の立場でも、患者の立場でも、患者の家族の立場でもいいです。

患者を「全身麻酔から醒めさせる」という目的を達成するために、

1. 薬剤や手法を部分的であれ全面的であれ変更して、再び全身麻酔を含む何らかの麻酔にかける
2. 全身麻酔がかかる前の状態に回復しようとがんばる

どちらを選択しますか?

  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

「1」は日本国憲法改正論(占領憲法改正論)、日本国憲法破棄論(占領憲法破棄論)もしくは「新しい自主憲法制定論」であります。「2」は大日本帝國憲法現存の確認であり、かつ日本国憲法講和条約説の採択であり、真正の無効論であります。すなわち原状回復です。

「1」は、理知信仰、宗教、主義、イデオロギー、主権思想、「過去・現在・未来」信仰と親和性があり、ときに粘着質なまでにそれらと親和性があり、「2」は本能の道、護國の道であり、「永遠のいま」における祖先や子孫とともに生きる道であります。

そして、この「2」の原状回復を選択するためには必定たる前提があります。それは、日本と日本人がほぼまるごと全身麻酔にかかっている(あるいは、全身麻酔にかかっていた!)という現状についての正しい認識であります。極めて簡潔にいえば、ただそれだけです。

  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

反日ならば、迷わず「1」を選択する、もしくは紆余曲折を経て、やはり「1」を選択するでしょう。「社会主義」「民主主義」「自由主義」「保守主義」「民族主義」「アジア主義」「欧米主義」「日本主義」であれ、「嫌韓」「親韓」「反米」「親米」であれ、そうした主義や標榜が何であれ、どーであれ、およそ反日思想保有者・非國體思想保有者は必ず「1」を選択します。また、「1」を選択するということは、その人物の主張する思想や「哲学」には反日思想・非國體思想が必ずどこかに潜んでいます。その「潜み方」がバレやすいか、バレにくいかの違いで、殊にネット言論一般においては「バレやすい」方々のことを「サヨク」「反日」と認識し、「バレにくい」方々のことを「保守派」「保守系」などと認識しているのが、目下の実態であります。

  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

いま、日本には、日本と日本人に再びというか新しい全身麻酔をかけようとしている勢力があります。一般に「保守派」「保守系」と了解されている連中であります。また、なかには「保守」だの「ナントカ自由主義」だのをわざわざ自称している方々もいます。この「保守派」「保守系」の連中こそが、反日かつ非國體の一大連合勢力として出現する時期を「そろそろか?」「まだちょっと早いか?」「とりあえず観測気球を上げて反応を見てみるか?」「もういいんじゃないのか?」などと見計らっているのです。

その理由は簡単です。「日本国憲法」という旧式(1946年式)の全身麻酔がマクロに観れば少しずつ醒めつつある、そろそろ醒めつつあるかもしれないからであり、ややミクロに観察すれば、既にその麻酔が醒めているからです。いわば「第二次日本全身麻酔プラン」であります。一般に「保守派」「保守系」と了解されている、実は「反日性」を潜在させている連中からすれば、出世と商売のチャンス!になるかもしれません。

1946年式の全身麻酔は、出来も統(すじ)も誠によろしくない。しかし、だからといって、「私どもが開発した新型の素晴らしい全身麻酔がありますから、日本と日本人は、アタラシイ日本のために、是非ともこれを採用するべきです」などという売り込みはお断りであります。

  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

改めて、たとえば、青山繁晴氏、中川八洋氏、石原慎太郎氏、竹田恒泰氏、安倍晋三氏、麻生太郎氏、櫻井よし子氏、中曽根康弘氏、中西輝政氏、富岡幸一郎氏、西村幸佑氏、井尻千男氏、読売新聞、産経新聞、自民党、そしてチャンネル桜の各番組にご出演の先生方、そして「保守派」「保守系」の政治ブログを書いているブログ主は、「1」と「2」のどちらを選択されるのか、興味があります。

ご存命であれば、三島由紀夫氏にも是非とも同じ質問をしてみたいです。






【保守哲学】 国学の系譜、帝國憲法の統 (三)

 本居宣長   井上毅(いのうえこわし)   陸奥宗光
 画像は左から順に本居宣長、井上毅(いのうえこわし)、陸奥宗光。
 本居宣長の画像は 本居宣長記念館HP より、
 井上毅と陸奥宗光の画像は 国立国会図書館HP より拝借。


【三】 そして、『国学(古学)とは國體護持の実践哲学である、あるいは真正の保守の思想に違わぬ哲学の統である』という認識だからこそ、昭和の前半の国家的危機の最中の実務において、天皇主権論者や民族系共産主義者などの右翼(=非國體思想の極左にして反米英系)と対峙された御二方を、ここで挙げておきたいのです。

昭和天皇 昭和天皇 - Wikipedia

吉田茂 吉田茂 - Wikipedia


真正の保守の政治を実現するためには、それを志す政治実務家も、その後援者や支持者も、以上に挙げた先達が所属し継受してきた国学(古学)の統に、いまこそ接続しなければならないと思います。

この哲学の学統を継受し、昭和天皇の天才性と臣民の命を繋がれた御聖断をいまに生きるもの、現存するものであるとして敬服できる人物、かつ、井上毅と陸奥宗光と吉田茂を足し合わせたような人物が、真の意味においての大臣かその補佐役として複数出現しないのであれば、日本の衰亡はおそらく既定路線とならざるを得ないと思います。そしてそのような人物は、もはや東京大学を頂上とする「日本社会主義人民養成学歴システム」からは輩出され得ないと見るべきではないのかと。というか、くれぐれもそのような「恐ろしい」人物が輩出して「極真保守政権」が誕生したり、真正大日本が出現しないようにするために、「日本社会主義人民養成学歴システム」があるのだと考えるべきではないのかと思います。

連合国(妄信的通称:国連)からすれば、ジャパンごとき国の総理大臣にはルーピー(クルクルパー)鳩山、朝鮮系の市民活動家であるカン・チョクト、あるいは財務省を飼い主とするその家畜であるところの野田某のような、少なくとも政治・経済に関しては一般国民以下のレベルの低知脳保有者がきっと相応しいのでしょう。ならば、連合国(妄信的通称:国連)が阻止したい回避したいと考えているのは、日本における「極真保守政権」の誕生であり、真正大日本の出現なのかもしれません。あるいはそのあたりにおいて、印象「左」にして看板「共産」「反米」の支那の対日当局の思惑と、印象「右」にして看板「新自由」「反共」の米国の対日当局の思惑には相同性があるのかもしれません。そして多少のイジメに遭ってでも端くれ的立場でもよいからその相同性クラブのメンバーでいたいというのが目下、竹島(松島)を不法占拠している南鮮であり、これは朝鮮生来の事大主義丸出しであります。

そして、そうした海外の陣営に多かれ少なかれ媚び従う傾向を示す反日日本人もまた、昨今はやりのところで申せば、占領憲法改正(あるいは「新しい自主憲法」制定)やTPP参加推進を唱えるという方法をもって、日本における「極真保守政権」の誕生を忌避するサインを知ってか知らずか発しているのです。この、日本人自身が日本における「極真保守政権」の誕生を、真正大日本の出現を忌避していることこそが、日本が国の内から外からしばしば「半人前扱い」や「小人(しょうじん)扱い」を受ける根本の要因ではないのかと思います。見透かされていると言ってよろしいでしょう。日本側のこのような精神状態では、たとえば北方領土(千島、樺太)に関する交渉において日本の国益に合致する正当な交渉ができる見込みはゼロ。ロシアの当局にしても、そのような状態の日本を本気で交渉相手にする必要など、どこにもないのです。

反日日本人のうち、経済モドキ政策においてはTPP参加推進に賛同し、憲法モドキ論議においては日本国憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)を進めたがる人々の正体は、「新自由主義」や「国民主権論」というイデオロギー(=主義、教義)を多かれ少なかれ信奉する人々(=信者)。TPP参加が経済の供給能力を(将来の経済環境の変化に対応するはずの供給能力をも含めて)低下させるであろうにもかかわらず、それでもTPP参加が正しいのだとする、少なくともその結論は彼らの脳内では最初から成立しているのでしょう。日本国憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)が、「法の支配」の「法」よりも人間の意思や理性が上にあるとする遵法精神ゼロ(=祖霊無視思想)を公言・流布する行為であるにもかかわらず、それでも日本国憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)が正しいのだとする、少なくともその結論は彼らの脳内では最初から成立しているのでしょう。目下、幅をきかせている「国民主権論」と「新自由主義」。朝日新聞も産経新聞も読売新聞も自民党も民主党もNHKも創価学会(公明党)も「維新の会」のハシシタもみんなの党も大方の政治学者も経済学者も、この「国民主権論」と「新自由主義」のセットが好きなようです。

イデオロギー護持のためなら、占領憲法の改正によって大東亜戦争の思想戦を今後も継続し、子や孫に「ウソつきになれ」「不正直になれ」「理性を信仰しろ」と強迫することになってもそれはやむを得ない、子よ孫よ我慢して従ってくれと考えている連中(=子孫虐待思想)。そのくせ、子や孫に対し、しばしば道徳やルールやマナーの重要性を語る。そしてそれほどの矛盾さえも、イデオロギー護持に由来するものならば、あまり問題にすべきではないとする。まことに占領憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)を提唱するという行為は、遵法精神ゼロにして祖霊無視思想を保有していることの証拠であり、かつ理性信仰にして子孫虐待思想を内に秘めているからこそできる業なのであります。占領憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)を提唱する連中が靖国に参拝するという行為が、英霊に対して一体どれほどの冒涜かということです。

反日日本人にとっては、政治・経済のおよそ一切のことは、何らかのイデオロギーという「度」の入ったメガネを通してでないと見えない、読めない、判らない、語れないのであり、また、そのイデオロギーという「度」の入ったメガネをかけながらでなければ、政治・経済のおよそ一切のことを見てはならない、読んではならない、判ってはならない、語ってはならないのかもしれません。別なたとえをするなら、イデオロギーとはまさに「思想の温室」であり、この「温室」の中に脳を置いた状態でないと、政治・経済のことを、言葉にして語るほどには見れない、読めない、把握できない症候群なのかもしれません。

あるいは、たとえば、拉致被害者の救出を訴えるマークであるブルー・リボンのバッジを着けて、占領憲法の改正や新自主憲法の制定を提唱するというこの多重人格症状を、「保守派」「保守系」の大多数を占めているかもしれない連中が自覚できる時は果たしてやってくるのでしょうか。それは拉致被害者の救出を訴えながら北朝鮮のバッジを着けているに等しいのだということ、わかりますか? 拉致被害者の救出を訴えながら北朝鮮のバッジを着けている人間を見て、その人間が本当に拉致被害者の救出を訴えているとあなたは見ますか? アメリカ人は見ますか? ロシア人は見ますか? 拉致被害者の救出を訴えながら北朝鮮のバッジを着けている人間、それが國體護持の実践哲学には程遠い、あるいは真正の保守の思想にも程遠い、イデオロギー信奉者の姿なのであります。

宣長先生の仰った「漢意(からごころ)」=反日思想、非國體思想が、従来の左翼市民系や支那・朝鮮礼賛系の方々の思想や主張のなかにのみならず、国民主権論者や新自由主義者の思想や主張、「尊皇」や「伝統」の看板を出している論者の思想や主張、各種の宗教家の思想や主張のなかにこそ織り込まれていることに、我々は目を光らさなければならないのであります。





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