oyoyo Memo Blog

時事と雑記。気が向いたときに更新するブログ。

伊藤貫という人物。 と、核武装について。

伊藤貫 - Wikipedia によると、彼は「国際政治・米国金融アナリスト」。その顔ツキからして、小泉や竹中や輿石や鳩山ユキヲやカンチョクトに負けず劣らず、既に充分アヤシイのであるが、チャンネル桜にときたま出没する。このような人物のフトコロにギャラとして二千人委員会の拠出金の一部が紆余曲折を経て入るのかと思うと、二千人委員会の拡大発展は先行き曇天である。

先日放送されたチャンネル桜の番組「田母神塾」にもゲスト出演していた。いや~、酷かった。その饒舌ぶりだけがトリエな話を、まぁ、聞く前から大した内容ではないことは推察していたが、とりあえずそのような思いを横に追いやって、最初から最後までじっくり聞いていると、伊藤貫はどうも、アメリカが経済・軍事の面において萎縮・没落してゆくことが嬉しくて嬉しくてもうワクワクしているらしく、そのアメリカとは相対的に、支那が経済・軍事の面において拡大・飛翔してゆくことが嬉しくて嬉しくてもうワクワクしているらしいのである。

このような思想のアヤシイ人物を田母神閣下の番組に出演させるとは、チャンネル桜のエセ保守ぶりも、いよいよ極大期を迎えつつあるのかと思われてならない。人あたりのいい工作活動には昔から従順なまでに弱い日本人である。


伊藤貫なる人物についての説明は、中西輝政の同類のついでとして出てくる、次の幾行かの引用文があれば事足りる。

近年の日本核武装論は、日米同盟破棄と対米核弾道ミサイル開発を狙う中西輝政が好例のように、日本の国家安全のためのものではない。私以外の日本核武装論者は皆、ロシアや中共と通謀していて、日米同盟の解体を狙っている。日本核武装は「スパイクマン地政学」に従った核武装論に限定する、正しい日本核武装論のみを厳格に選別しなくてはならない。

中西輝政の『日本核武装の論点』の共同執筆者はほとんど、この種の怪しげな人物たちである。例えば、劇画作家が本業だからなのか、漫画的な出鱈目を臆面もなく書きまくる兵頭二十八は、日本の核兵器の標的を米国にしている(注9)。伊藤貫は、具体的に「自主核」の説明も提示もせず、中西を模倣して、「自主防衛能力(自主核)と同盟関係の多角化」と、逆防衛を主張し、日本がロシア/中共に分割占領される日本国の滅亡をプランする(注10)。


*注9) 兵頭二十八 「日本列島核兵備計画」 『諸君!』 一九九六年十月号、二一三頁。

*注10) 伊藤貫 「米国の核頼みの日本は、十五年で中国の属国だ」 『諸君!』 二〇〇九年三月号、八〇頁。伊藤貫の国際政治学の知見は破茶目茶、軍事知識はゼロ。その論には、中西流のデマゴギー以上の内容が何一つない


中川八洋著 『地政学の論理 拡大するハートランドと日本の戦略』
(徳間書店、2009年) p242、および p253



なお念のため、小生は、中川八洋氏の主張や論の全てを支持しているわけではありません。そのことについては過日のエントリ「oyoyo Memo Blog 中川八洋氏と憲法無効論」をご一読下されば、自ずとご了解いただけるものと存じます。


伊藤貫氏のことは以上。


以下は一般論として、自称「反・反日」、自称「対・反日」へ。


日本国憲法第9条を「改正」し、もしくは「自主憲法」を新たに創設し、核武装をすれば、支那や特亜やその他反日勢力に対抗できる、と思っている「保守派」ないし「反・反日」、「対・反日」は、紛れもなく立派に「反日」であることを自明のものとせよ。

ことのついでに、たとえば「自主防衛」 「自主憲法」などというコトバは、「人権擁護法」 「外国人参政権」などというコトバと同様に、コトバの顔ツキからして既にアヤシイと心得よ。

自力でそれが判るようになれば、エセ保守(自称「反・反日」、自称「対・反日」)も、多少はその「反日」症状がマシになる。


日本の核武装についての小生の愚考は、極めて短くも拙い文面ながら、以下のエントリで表明している。
oyoyo Memo Blog HTV 2号機搭載の H-2B 2号機の打ち上げ
「小生は日本が核弾頭搭載可能な弾道ミサイルを保有することには反対である。保有するなら核弾頭搭載可能な巡航ミサイルである。しかもそれは移動可能(持ち運び可能)でなければならない。・・・・・・」

*つまり、少なくともこの画像にあるような形体の機器による核武装ではない、ということです。
遺憾の意
(画像は拾い物)


ある一国の置かれた地政学的ステイタスとはその国の如何ともしがたい宿命である。核武装をする!ならば、その順序として、日本国の置かれた地政学的ステイタスを、民族感情や個人的希望やイデオロギー抜きで、冷徹に宿命と捉え、核武装のために使えるリソース(技術、材料、時間、予算等々)の限度を知り、それではそうした制約のなかでどのような核武装をするのが日本国と日本国民にとって望ましいかと段取りを踏まねばならない。その際、制約はむしろ望ましい道筋や最適解に近い解を示してくれる。

正しい核武装ならば、その核兵器は「士魂の刀」と一体となり、またその重要部を構成する。勝負というものは、刀を鞘から抜く前に、既に決まっていると言われる。核武装をする!ならば、そのような核武装が、真正日本人の「本能」が持つべし備えるべしとする核武装ではないかと思われる。

思想のアヤシイ人物主導の核武装プランなどを求めるのは動物の本能か特亜の本能であり、真正日本人の「本能」はそのような核武装プランを求めてはいない。




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コメント

あなたのような見解が日本の主流となれば、どんなに素晴らしいでしょう。わたしは日本の大学院で国際政治政策を学んでいる交換留学生ですが、毎日くだらないテレビ番組を見ている民度の低い日本人に核は必要ないと考えています。日本に核を持たせない限り覇権国の核に脅え、アメリカの息のかかった憲法を破棄しなければ、日本がこれまで通りの抱きつき外交を維持してくれますので中国にもアメリカにも好都合で助かります。このまま日本が自助自立できないまま、中国かアメリカの属州になることを心から願っています。

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