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【保守哲学・憲法無効論】 日本国憲法改正という、「保守派」における「シャバ人間主義」 (上)

今回は先のエントリ(oyoyo Memo Blog 中川八洋氏と憲法無効論)と内容が一部重複しますが、もう少しだけ一般論化を試みかけた・・・・・・、みたいなもの、
と御了解下されば幸いです。


日本国憲法が憲法としては失格ないし無効であるとしても、これに保守の法思想ないしその哲学に基づいた改正を加えれば正統の憲法が出来る、すなわち、

「憲法としては失格ないし無効なもの」+「改正」=「正統の憲法」、もしくは、
「憲法として無効な憲法(もどき)」+「改正」=「憲法として有効な憲法」

との捉え方は、憲法無効論にまつわる最もポピュラーな誤認であり、最も安易な曲解であると小生は観ています。日本国憲法を「憲法としては失格ないし無効なもの」と了解していても、この捉え方は無効論に非ず、紛れもなく有効論になります。なぜなら、憲法として有効であるとの(すなわち有効論の)視座だからこそ、日本国憲法の改正条項に従った憲法改正を試みることができるからです。

誰がとは申しませんが、憲法無効論に一応の首肯を示し、一応の賛意を示しておきながら、爾後、「私は日本国憲法を改正して新憲法を制定すべきだと思うんです」とか、「やはり日本国憲法を改正して自主憲法を作るしかないと思うんですよね」などと、実に涼しそうな顔をして、ときに神妙な顔をして語るのです。それも保守系とされる政治家や評論家や学者先生などが!です。憲法無効論に首肯し、賛意を示したからといって、そうした方々の思考には誠に油断ならないものがあります。で、それに関して、故意か過失かは問わない、というのが小生の基本姿勢であり、基本の構えであります。

前エントリにおいて、「日本国憲法のいわゆる改正派ないし改憲論支持者は、いわゆる護憲派ないし護憲論支持者よりも反日の濃度や執拗性においては勝るとも劣ることはないかもしれません」と書きましたが、次に挙げるのがその具体的人物の例。いずれも MSN 産経ニュースの記事より。これはほんの一例であり、ほんとのほんとに氷山の一角にすぎません。

中曽根元首相、「保守の真髄は憲法改正」
「憲法改正しきちんと安保展開」 奈良正論懇話会・中西輝政氏
【正論】東洋学園大学准教授・櫻田淳 安保での失点は安保で取り戻せ
【正論】杏林大学名誉教授・田久保忠衛 憲法改正の狼煙上げる秋がきた
【正論】杏林大学名誉教授・田久保忠衛 戦後体制から脱皮し国家再興を


保守系大先生ばかりではありません。一般に数多いる「保守派」や自称「保守」、自称「保守主義者」の連中は、確かに「保守系」という名の皿の上に載っています。しかし、彼らには、その皿は「反日」という盆の上に載っているのだ、ということが見えないのです。なぜなら、彼らにとっては、そのような盆など無いのであり(すなわちそれを認識できていない)、また、盆を認識できていない彼らにとっては当然のことながら、盆の上も外もないのです。彼らにとっては盆の外は妄想や空想の領域、ないし不毛の領域としてしか認識できないはずであります。

ということは、そのような数多の連中は「反日」とは何かについて、実は見えていないことになります。少なくともその全体像を鳥瞰できるような視座も眺望も現時点においては持っていないのです。「反日」という盆を足場にしている限り、「保守」という名の皿であれ、「保守主義」という名を付けた皿であれ、如何なる名を付けた皿に納まろうとも、真正の日本国憲法無効論は見えてこないでしょう。

これが判らないとするなら、保守系大先生たちがしばしば口を揃えて仰せの、戦後保守からの脱却とか、戦後レジームの打破などは無理であります。「新憲法」を制定しようが、「自主憲法」を制定しようが、「創憲」しようが、はたまた「日本国憲法の破棄」をしても、これが判らないとするなら、戦後保守からの脱却とか戦後レジームの打破は無理であります。どう服を着替えても、どう語り口調を変えても、盆の上のイデオロギー(皿対皿、皿対皿対皿)の論壇コーナー、ないし盆の上の種々のイデオロギーのシェアリングに終始する学級会議にしかなりません。





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